サッカー選手を夢見た少年がなんやかんやでサラリーマンになるまでのリアルな話

サッカーを愛するすべての皆さん、こんにちは。そうでない方も、こんにちは。
皆さんの夢は何でしょうか?そして、夢は何でしたでしょうか?
私は5歳でサッカーを始めて以来、高校生くらいまで本気でサッカー選手を夢見ておりました。
でも気づけば普通に大学受験をして、普通に就職活動をして、普通にサラリーマンをしてます。

サッカー選手と言えば、少年のほとんどが憧れる職業ではないでしょうか?
第一生命が小学生を対象に実施している「大人になったらなりたいもの」のアンケートがあります。
2023年度の結果によると、少年の第3位が「サッカー選手」でした。
近年では「Youtuber」が上位にランクインする傾向ですが、サッカー選手は相変わらずの人気です。
参考URL:2022_071.pdf (dai-ichi-life.co.jp)

ここでは、サッカーを選手を目指す上での「リアルな失敗談」を共有します。
幼少期からサッカーを習い、そこそこに実力はあったけど、気づけば道をそれていた失敗談です。
暗い話をするつもりはありません。私の物語を楽しみながら、マネしないようにしてください。
この記事の読者の中から、将来のサッカー日本代表が誕生する未来を祈ります。

幼少期:サッカーとの出会い

まず私がサッカーと出会ったのは5歳の頃です。
自宅と幼稚園の間に小さなグラウンドを持つ、サッカースクールがありました。
楽しそうにボールを蹴りあっている少年少女を見て「自分もやりたい」と思いました。

当時は1994年であり、前年にJリーグが誕生していました。
私自身はJリーグをほとんど意識していなかったのですが、無意識に周囲から影響を受けた可能性はあります。
母親に「サッカーを習いたい」とお願いすると、喜んでくれた記憶があります。

こうして5歳で、四国のとある田舎のサッカースクールの門を叩くことになりました。
サッカーを始める時期としては遅くなかったと思います。
そしてきちんとした指導が受けられるスクールだったので田舎ながらも環境は良かったです。

幼稚園クラスに所属し、とりあえず細かいルールはさておき、走ってボールを蹴る日々を過ごします。
基本的に試合形式で週2、3日の練習をこなしていました。
友達も出来て、ただただ楽しんでいました。この頃はサッカー選手なんて夢見てませんでした。

サッカー自体は楽しかったですが、集中力が弱くて試合中によく座り込んだり、小躍りしていたことを覚えています。
それでも特に怒られることなく伸び伸びと自由にサッカーを楽しんでいました。
この頃はその程度で良かったのかもしれません。

小学校低学年:サッカーの基礎を学ぶ

小学校に入学しても同じサッカースクールで練習を続けていました。
幼稚園クラスではルール無用の試合形式でしたが、小学生クラスからは簡単なルールも教わります。
手を使ってはいけない、人を押したり蹴ったりしてはいけない…など。
オフサイドなどのルールはまだこの頃は知りませんでした。

日々の練習でパス、トラップ、シュート、ヘディングなど基礎的な練習が増えてきます。
失敗しても怒られることはなく、監督はおだやかに指導してくれた気がします。
そして、練習の最後はいつも試合形式のミニゲームで締める。
だんだんとボールの扱いも上手になってきたのを覚えています。

小学3年生になる頃には、友達とサッカーのテレビゲームで遊ぶようになり、益々サッカーが好きになりました。
まだテレビでサッカーを観る機会は少なく、対外試合も無かったので友達とのサッカーが自分の全てでした。
今思うと、サッカーが好きになっていた一方で、もっとサッカーを観て知る機会があったら良かったです。
当時の四国にはJリーグチームはおらず、プロの試合は観れませんでした。テレビもほとんど放映がなかった。
しかし、中高生の試合など観ようと思えば観れたはずですし、そこに気づけていればよかった。

ちなみに当時はヴェルディ川崎や鹿島アントラーズが強くてゲームでよく使っていました。
ベルディのビスマルクにはファンレターを出した記憶があります。日本語で。笑)
この頃から「将来の夢は?」と聞かれると「サッカー選手!」と即答していました。
まさに憧れの職業でしたし、自分は何にでもなれると思ってました。

小学校高学年:はじめての挫折

小学校4年生に進級すると、サッカースクールでのコースが2分されます。
ジュニアコースとスクールコースという2種類がありました。
ジュニアコース:サッカー選手を目指して本格的な指導を受けるコース
スクールコース:体力向上を目的としてサッカーを楽しむコース

私はもちろんジュニアコースを選択しました。
理由はいくつかありますが、まずは自分がサッカー選手を目指していたから。
そして、同学年の友達のほとんどがジュニアコースを志望し、むしろスクールコースを小馬鹿にする雰囲気でした。

その頃にはサッカーも上達しており、日々の練習で中心選手として活躍できている状況でした。
自信を持って、ジュニアコースに挑戦することになりました。
ところが、私はこのサッカースクールを1年後に辞めることになります。

ジュニアコースの練習がはじまると、それまで穏やかに指導してくれていた監督の様子が一変しました。
練習に来るのが少しでも遅いと「何時だと思ってんだ!?」と怒鳴られ、まず面食らったことを鮮明に覚えています。
練習開始時刻には間に合っていましたが、それまでに準備運動も済ませておくべきだった様です。
そのあとの練習でも私に限らずミスをするたびに「お前ら、なにやってんの!?なあ??」と詰められます。

連帯責任でグラウンドをぐるぐると走らされ、ジュニアコースの厳しさを痛感しました。
対外試合も行われるようになりましたが、少しのミスで頭をはたかれて目がチカチカします。
サッカーは好きでしたが、気づけば監督に怯えながらプレーしていました。
小心ながらも根性はあったので、我慢して練習し、試合に挑んでいました。この時、小学4年生です。

だんだんと環境にも慣れて、サッカーの技術も上達してきました。
監督は怒るだけでなく、良いプレーは褒めてくれるので嬉しかったです。
ある時、監督に1つ上の学年に混ざって試合に出てみるように言われました。嬉しかったです。
ところが緊張していたのか、単純に力不足だったのか試合で全く役に立ちませんでした。

一気に自信がなくなりました。あの時、何が足りなかったのか反省すべきでした。
そしたら、もっと練習すべきことを意識できたはずです。ところが小学生の自分にそこまでは求められません。
当時はとにかく練習しよう!と意気込んで打ち込んでいましたが空回って怒られてばかりの日々でした。

サッカー選手になりたい気持ちはあったものの、練習や試合で怒られるのが怖くてたまりませんでした。
たまに監督不在の練習や試合がありましたが、精神的に楽で伸び伸びとプレーして活躍できていたことを覚えてます。
そしてある時、親に「今日、練習行きたくない」と相談すると、休ませてくれました。
練習を休んで近くのショッピングモールに買い物に連れて行ってくれました。
その時の幸福感が凄まじく、「あんなに怖い思いしてサッカーしなくていいのでは?」と思うようになりました。

それから休み癖がついてしまいました。自分で監督に電話するのが怖いので親に電話してもらっていました。
怖くて厳しい練習を休んで、学校の友達と遊びに出かける。これがとても楽しかったのです。
矛盾するようですが、サッカーは好きでした。ただただ、怒られる事が嫌だったのです。
ある日、母親に「サッカーどうする?辞めるなら自分で言いにいきなさい」ととうとう促されました。

サッカーを辞めるなんて考えたことが無かったですが、月謝を払って習っているのだから当然の選択肢です。
本来は週3日の練習でしたが、実際は半分くらいしか行けていませんでした。
しかし、監督に自分で辞めることを言うのは死ぬほど嫌でした。確実に怒られる。怖い。
おそらく生まれて初めて「悩んだ」経験ではないでしょうか。
サッカーを続けたいけど怖い。でも辞めるのも怖い。…でも辞める時だけ我慢すれば、あとは楽。。

練習が無い日に監督の家を訪ねて、「サッカー辞めます」と伝えました。かなり怯えてました。
オフの監督は普段よりも穏やかな雰囲気で、そして残念そうな顔で「ほんまに辞めるんか?もったいないぞ」と言いました。
しかし、この時の自分は腹をくくっていたので「辞めます」と言い残して、逃げるように去りました。

こうして初めての挫折を経験したのでした。

小学校高学年:夢に向かってカムバック

生まれて初めてサッカーを辞めました。それからいろんなスポーツクラブを見学しました。
野球、ソフトボール、ゴルフなど。親の奨めでゴルフクラブを買い揃えましたが、あまりしっくりきませんでした。
ソフトボールクラブには友達も多かったのと、当時はパワプロが大流行していたため非常に魅力的でした。

ところが、フランスワールドカップで日本代表の試合を観る機会がありました。
日本vsアルゼンチンの試合です。おそらくアルゼンチンという国の名前をはじめて知ったのはこの時です。
「バティストゥータだー!!」という実況と共に日本代表の初戦は惜しくも敗戦となりました。
次の日の学校ではワールドカップの話で持ち切り。自分も入りましたが、もはや辞めた身なので気まずい。

日本はクロアチアにも敗れ、予選敗退が決定。そんな中、ジャマイカとの最終戦を迎えます。
そこで日本代表のワールドカップ史上初ゴールが生まれます。
呂比須ワグナーから中山雅史がゴールにボールを叩きこんでゴール!小学生ながら感動しました。
試合には負けましたが、初めて世界で戦う日本人を観てカッコいいと感じました。

自然とサッカーに対する熱が再燃してきました。
やっぱりサッカー選手になりたい。…でも、怒られるのは怖い。
どうしたら伸び伸びとサッカーが出来るのか、と沢山考えました。
その結果、元居たサッカースクールのスクールコースを思い出しました。

スクールコースは体力向上が目的のコースなので、対外試合は無く、特に厳しい指導はありません。
とにかくサッカーがしたい一心で、母親に相談するととても喜んでくれました。
あまり表には出さなかったですが、息子がサッカーを辞めたのは母親にとっても残念だったはずです。
そんな息子が「またやりたい」と自分から言い出したのだから、嬉しかったのでしょう。

再び監督の家を訪問し、「やっぱりサッカーがやりたいです。今度はスクールでお願いします」と言いました。
この後、スクールコースではそれまでに培ったスキルで無双状態になります。
生徒は沢山いましたが、圧倒的に抜きんでたスキルでゴールを毎日量産していました。
ミスがあっても詰められることもなく、ただ楽しくサッカーができました。かなり自信もつきました。

ただし今思うと、そのサッカースクールにこだわらず、きちんと対外試合を通して指導されるべきでした。
というのもサッカーのスキルは上達し、自信もつきましたが、あくまでも個人プレーの話。
チームで勝利に向かって何をすべきか、というチームプレーを小学生時代に「考える」ことができませんでした。

かくして小学生までに個人技と自信を身に着けた私は小学校卒業と共に、中学校でのサッカー部へと環境を変えます。
つづく。

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